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七五三に思い出すのは。

家ねっと代表でエスコートランナー役の中野です。

10月は、
七五三の季節ですね。

我が家のLINEにも
孫たちの七五三の写真が

送られてきました。
今年は、

5歳の男の子たちが
主役ですが、

今時は
兄弟姉妹も着飾って、

一緒に写真を撮るようです。
みんな、可愛い!と、

8人の孫のババである私も
目尻が下がりますが、

思い出すのは、
うちの娘たちの七五三ではなくて、

自分の七五三です。
と言っても、

思い出は、
8ミリカメラの中ですが。

私は、子供の頃、
とても大人しい子どもだったそうですが、

七五三の時は、
人が変わったかのように、

だはんをしたそうです。
あ、だはんとは、

北海道弁でしょうか?
そのだはんの原因は、

千歳飴だったそうです。
今はわかりませんが、

その当時、
千歳飴は神社で祈祷をあげた子どもが

貰うもので、
我が家では、お参りだけだったので、

千歳飴が貰えず、
私は、こっぽりを投げて、

泣いて怒ったそうで、
それが、父の撮った8ミリに映っており、

ずいぶん、
大きくなってからも、

あの時は、
ひどいだはんだったと、

言われ続けました。

うちの実家の祖父は
昔、神主でしたが、

樺太から引き上げてきたとき、
神社を失い、

その後、
神主のアルバイトのような感じで

働いていたようですから、
なぜ、祈祷をあげてもらわなかったのか、

ずっと不思議でした。
母は、お金がなかったからと言っていましたが、

着物は着せて貰えたので、
祈祷のお金くらいは

あったと思うのですが。
実は、我が家は、

どんな時も
神社の中で祈祷をあげてもらうことはなく、

いつも
祖父や父が

自宅の小さな神棚に向かって
祝詞をあげていました。

なので、
私の中では、

祝詞は自宅であげるものと
思っていましたが、

七五三の頃は
ただただ、千歳飴が欲しかったのですね。

そして、
祖父母も父も亡くなり、

しばらくして、
なぜ、

七五三でも
私が泣き叫んでも

祈祷をして貰わなかったのか、
わかるようになりました。

それは、
たとえ、北海道神宮でも、

神主の祖父にとって
自分以外の神主に、

孫の祈祷をしてもらう事は
プライドが許さなかったのですね。

樺太では
黒住教でしたが、

教会と呼ばれる神社を構え
一国一城の主、

敗戦ということも重なり、
祖父は大きく傷ついていたと思います。

千歳飴が欲しいと
泣き叫ぶ孫を

祖父や父は、
どんな思いで見ていたのかと思うと、

今頃になって
申し訳なかったと思います。

我が家の孫たちは
皆、神社で祝詞をあげてもらっています。

なんだか
ちょっと羨ましい。(笑)

エスコートランナー役の中野でした。

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