エスコートランナー

家族について

家ねっと代表でエスコートランナー役の中野です。

私の令和は、
家族を振り返る旅から始まりました。

去年から、
ゴールデンウィークは、

母を連れて、
母の生まれ故郷岡山を訪ねています。

母は94歳でアルツハイマーなので、
いつまで連れて行けるかわかりませんが、

岡山の親族も
総出で迎えてくれるので、

頑張ろうと思っています。

今年2月、
母のすぐ上の叔母が

97歳で亡くなりました。
お葬式には、

私たち夫婦とうちの長女が参列しました。
とても温かい葬儀でした。

その時、
叔母の最期の手紙に、

自分が死んだら、
残っている妹二人に、

亡くなったことを伝えて欲しいと
あったと聞きました。

高齢の母が、
姉を失ったショックに耐えられるだろうか、

と、
不安でしたが、

叔母の気持ちを汲んで伝えました。
母は、気丈でした。

そして、
今回、母の実家で、

お仏壇にお参りしました。
母は、ただ一人残った妹と、

仏壇の前で泣いていました。
9人いた姉妹弟が二人になってしまったと。

そして、
仕方ない、仕方ない。

と、
二人で肩を抱き合っていました。

翌日、
従兄弟の息子の力を借りて、

車椅子の母を
山のてっぺんにあるお墓に連れて行きました。

母は、
お参りをしながら泣いていました。

そして、
『私は中川になったから、ここには入れないか!』

と、
笑っていました。

その夜、
岡山の親族が用意してくれたのは、

亡くなった叔母の文箱から出てきた写真の
映写会でした。

結婚する前の叔母たち
結婚式の写真
子どもが生まれて笑っている叔母たち。

母と生まれたての私の写真も
ありました。

その写真の母は、
若くて凛としていて綺麗でした。

幸せな顔の写真でした。

母は、
次々映し出される写真をじっと見ていました。

そして、
たった一人となった妹と、

懐かしそうに
お喋りをしていました。

帰路に着いた日、
思いかけず、

空港まで
叔母、従兄弟のお嫁さん、そして、

その娘たち、
孫たちが、

見送りに来てくれました。
待合室で最後のお喋りをした後、

検査場を過ぎる私たちを
涙で送ってくれた叔母を見たら、

胸が熱くなりました。
『また、会えるかも知れんから』

叔母の正直な気持ちだったと
思います。

羽田経由の乗り継ぎ便で
ほぼ一日がかりの岡山往復。

母は疲れたと思いますが、
施設に帰ると満面の笑みで、

介護士さんに身を委ねていました。

結婚して新しい家庭をつくっても、
自分が生まれ育った家族は、

やっぱり宝物なのだと思いました。

エスコートランナー役の中野でした。

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