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両親が暮らした家が取り壊された・・・2019.11.11

 

こんにちは!
エスコートランナーの山谷です。
今日は実家が取り壊されたこととその気持ちを。

 

父亡きあと一人で23年間暮らし続けた母。

その母も3年前に亡くなり、
誰も住む人がいなくなってしまった。

子供は4人。
長男は、すでに転勤で札幌に来てそのまま
マンション住まい。
次男は旭川で一軒家を。
私は札幌で一軒家を。
次女は函館に一軒家を。

孫たちもそれぞれに生活をしている場所があり、
誰かに貸すには50年を経た6LDKの家は広く寒い。
売りに出すことにした。
中味の整理はすべて終えて。
3年が経とうとしている先日
次の人が決まり更地になった。

ファイル 2019-11-11 12 02 19

母が亡くなった後
遺品の整理を妹と二人でした。
きれいにしていたとはいえ50年の間
人が住んで生活していた家は
家財道具をはじめ膨大な物であった。

一人ではくじけてしまいそうな片付けは、
母の関係で手伝ってくださるご夫婦のおかげで
思いの外進んだ。
母が手を貸してくれたのだと
思わずにはいられなかった。

その後は妹が時々観に行っては片付け、
庭の手入れをしていてくれていた。
「もうそろそろいいよね~」
と二人で言っていたところだった。

離れていることもあり、
取り壊しの時は見ていない。
それでも売れて壊されるというので
その前に逢いに行ってきた。
私の部屋はもとより家には当然何もなく、
仕訳された壁紙や建具があり、
柱だけになっていた。

ここに一人で住み続けて、
いつかは兄夫婦が帰って来てくれることを
望んでいた母だった。
マンション暮らしを始めらた
一軒家の暮らしには戻れないだろうと
私は内心思っていたが、
昔の人は長男が家を継ぐという意識が強かったので
母は待っていたと思う。
庭にはいつも花が絶えなかった。

写真大中山

GWやお盆に帰っては、泊まってきたものだ。

書いててなぜか涙があふれてきた。

家をしまうということは

身を切られるような辛さがある。

今気づいた。
こんな感情になるとは思っていなかった。
いやいや、
主人と除雪が大変だからマンションに住み替えるか
と言っていたのに、
亡くなったら、全くその気が無くなった。
ここで母のように生きようと
思っている私がいるのだ。

家には暮らしてきた年月そのものがある。
魂が宿っているのだ。
そんなことを感じながら
お客様により寄り添って行きたいと思う
今日この頃だ。

エスコートランナーとして、
お役に立てる自分でありたいと思った。

今日もご縁に感謝し、
ツイテル♪ツイテル♪
と元気に歳を重ねて行こう(^_-)-☆

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